私は現在アメリカの大学でPublic Relationsの勉強をしているのですが、その専攻の中には必須の講義で、ニュースの書き方や過去と現在のメディア、正しい情報を探し出すコツ、そして良いメディアを作る要素など、メディア(新聞・テレビ・ソーシャルメディア)に関する勉強をしています。そこで学んだことをシェアし、日本とアメリカのメディアの状況とそれを取り巻く社会構造について書いていきたいと思います。

日本メディアの状況

これは主観でなく、アメリカのメディアに携わる人材、そして記事のクオリティを比較した場合、様々な点において圧倒的に日本のメディアのレベルが低いです。まずアメリカのメディアについて述べるとするならば、基本的にメディア(新聞社・雑誌社・TVなど)で働く人は大学または大学院で専門的な教育を受けています。基礎で言えば、新聞などの公的文章の書き方、どのような情報が必要か、また記事を書くにあたっての背景知識の勉強、専門家の意見、正確な情報とそうでない情報の判別など多種多様な事柄についいて学びます。そして、多くの人が、メディアの専攻とは別の分野の専攻を同時に履修していたり、修士号を取得している人も少なくはないです。そして各記事については各自の得意分野はもちろん、背景知識をよく知った上で書いているので、多くの人が新聞などのメディアを基本的には信頼できる情報源として認識しています。もちろん、記事以上に難解で、詳しい内容を知りたければ自分で論文を探し、読む必要があります。ですが、一般読者に対して簡潔でわかりやすく正確性の高い文章を書く技術があります。そしてそのための質問力が優れています。一方、日本の記者のレベルは非常に低いです。基本的に記者になるためにはそれぞれのメディアへ入社した後に専門的なことを学びます。そのため、アメリカの記者に比べると入社時点で既に知識に大きな剥離が出てきています。そして、最初に不正確なやり方で始めると、それを直すのは困難です。そして、多くの記者に専門的知識が不足しています。そのため、新聞社によって極度に偏った思想を持った記事しか書けません。その結果中立であるべき内容、出来事に記者・会社の思想が入り込み主観的なメディアとなってしまいます。その結果多くの人が新聞やテレビから離れていっています。もちろんそれが1番の要因ではありませんが、明らかに記事そしてそれを書く記者のレベルが非常に低いです。これは主観ではなく客観的事実に基づいて書いています。記者に偏った思想があると、例えば何か出来事が起こったとして、既に記者の思い描くゴールは決まっているため、その中間情報が曖昧になり証拠不十分で信頼性に欠ける文章になります。”FACT(証拠)“と”OPINION(意見)“が混同してしまいます。本来、証拠に基づく論理と証拠から考えられる記者の推察は異なります。多くの日本のメディアは残念ながらこの2つを混同している。さらに、一つの話題に関する背景知識(必須知識)が圧倒的に不足しています。自分の各記事について日本や海外の論文を何本か読めばそれなりに何が正いかそうでないか判別できるのにそれができない。これは完全に記者の怠慢です。読者を取り戻すためには、正確で証拠に基づく記事を多く書けば簡単に読者はつくはずです。

論文と本の違い

論文と本には圧倒的に違う点があります。それは”正確性“です。例えば、本はお金さえ出せば誰でも出版できます。そのため、科学的に証明されていないことだとしてもそのような題名をつけて販売することができます。無論、医学系文書として証拠のない説を提唱し、販売するのはいかがなものかと思いますが、不可能ではあります。そのため圧倒的に信頼性にかけています。もちろん多くの本はよく書かれており、信頼できる本の方が多いです。ですが中には読むに値しない本もあります。例えば、本では「毎日お酒を飲むことは体に良い。」「毎日お酒を飲むことは体に悪い。」という2つの全く異なる本が存在することもあります。これは例なので誰かの本のことを言っている訳ではありません。そして著者はその内容について自分の考えを元に解説することができます。一方、論文としてしかるべき機関に承認(Accept)された論文は非常に信頼性が高いです。なぜなら、論文を執筆する段階でまず、自分の説を証明する科学的事実を加えて説明しなければいけません。それはたくさんの繰り返し行われた実験結果が証明する証拠データによるものだったり、過去に論文として承認されている非常に一般的な説など多くの参考文献・データを必要とします。そして、事務局や編集局に渡り、何人もの教授や科学機関の人たちの査読を通過して、細かいミスやスペルミスなど完璧になった論文だけが例えばNatureなどの科学雑誌に載ったり、人の目に触れることができます。そのため、論文の方が圧倒的に本より正確性があります。もちろん本の中にはそのような論文をそのまま本として出版したり、一般読者にもわかりやすいように書き換えて出版したりすることもありますが、基本的に本より論文の方が正確性も高いです

正確なニュースを作る必須要素

私たちは日々様々な情報をTV、新聞、ソーシャルメディアから仕入れています。ですが、信頼性の高いソースのニュースは限りなく少ないです。そこで、私たちがニュースを把握する際、どのようなことに気をつけるべきか、まずは正確なニュースを作る要素についてですが。主に3つあります。それは、「著者」、「ソース」、「証拠」の3つです。まずは著者についてですが、基本的にもし正確性にかけた嘘の記事を書いた場合、社会から相当なバッシングを浴びます。そしてもし書いた記事で何か不利益を被る可能性があれば、すぐに訴えられます。そのため、アメリカでは各ニュースには記者名が書かれています。逆に日本のニュース記事には滅多に記者の名前が書かれていることはありません。これは、各記事に責任を持つという点では、あまり良くないです。次に、ソースについてですが、これは記事の内容にも依りますが、アメリカのメディアでは一番下に必ず、参考にしたソースのURLが載せてあります。これは国際的な論文の企画でもそうですが、記事の信頼性、情報源を明かすために必須な情報です。残念ながら、これも日本のメディアにはあまり見られません。そして最後は、証拠です。これも”情報源”を明かすということと似ているのですが、記事で述べたことについては憶測で話さず、必ず証拠を提示するということです。憶測で書かれている記事はもはや創造物であり。ニュースではありません。ニュースはあくまで真実を、正確に、早く伝えるという役割があります。その点から言うと、多くの日本のメディアは記事のレベルが低下しており、その結果が新聞購読数にも表れているのではないでしょうか。

日本人記者の弱点

残念ながら多くの日本人記者は英語ができないため、英語で書かれた第1情報にアクセスすることができません。その点から言えば英国や米国の記者に大きく情報的ハンデがあるのも頷けます。ですが、それと正確な文章を書かない・書けないこととは関係ありません。記者には正確な文章を書き、それを一般民衆へ届ける義務があります。もちろん会社ぐるみで極端な思想をもち、発信しているメディアは論外ですが、多くの人に見られたり読まれたりするメディアになるためには、信頼するに値する発信をしなければいけません。そのためには日本のメディア関係者にはたくさん勉強をして信頼するに値する記事を書いてもらいたいと思います。

Work Cited

https://www.pressnet.or.jp/data/circulation/circulation01.php

https://www.census.gov/prod/2001pubs/c2kbr01-8.pdf

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